寛永文化ゆかりの地MAP≪第一弾≫
- ・このマップは、寛永行幸、寛永文化にゆかりの人物や出来事にかかわるスポットを掲載したものです。
- ・掲載スポットの中には、常時公開されていないところもございます。事前にご確認のうえお出かけください。
- ・「後水尾天皇」「後水尾上皇」「後水尾法皇」については、出来事が起こった当時の称号、もしくは紹介スポットで公表されている称号を使用しております。
1実相院門跡
京都市左京区岩倉上蔵町121
中興の祖・義尊は後陽成天皇の義理の息子で、後陽成天皇、後水尾天皇、東福門院の支援を受けて栄えた。寺宝に後水尾天皇の宸翰「忍」、後陽成天皇の宸翰「仮名文字遣」(重要文化財)や、狩野永敬をはじめとする狩野派の絵師による襖絵などを擁する。
2圓通寺
京都市左京区岩倉幡枝町389
https://www.kyoto-entsuji-teien.com/
寛永16(1639)年に後水尾上皇が造営した別荘・幡枝離宮がもとになった寺院。皇室の祈願所として、後水尾天皇以降の歴代皇族の御尊碑が祀られている。枯山水庭園は後水尾上皇が、比叡山を美しく眺められる場所に造らせた。
3賀茂別雷神社(上賀茂神社)
京都市北区上賀茂本山339
東福門院が、徳川家との縁が深い賀茂別雷神社が荒廃していることを憂慮し、再建の資金を提供。寛永5(1628)年、後水尾天皇と東福門院の御願によって、徳川家光が再建した。
4修学院離宮
京都市左京区修学院藪添
https://kyoto-gosho.kunaicho.go.jp/shugakuin-rikyu
万治2(1659)年に、後水尾上皇が比叡山の麓に造営した山荘。場所選びから石の配置までこだわったとされる。中離宮は後水尾上皇の第八皇女・光子内親王のために造られ、客殿は天和2(1682)年に女御御所の奥対面所を移築したもの。
5光悦寺
京都市北区鷹峯光悦町29
「寛永の三筆」に数えられ、また「光悦蒔絵」でも知られる江戸初期の文化人・本阿弥光悦の屋敷跡に建立された寺院。元和元(1615)年に徳川家康から鷹峯の地を与えられた光悦が、職人などと移り住んだことで一帯は芸術村となった。
6大徳寺
京都市北区紫野大徳寺町53
寛永4(1627)年の「紫衣事件」に際し、大徳寺の沢庵宗彭、江月宗玩らが幕府に抗議をしたことが知られている。法堂(重要文化財)の天井画「雲龍図」は狩野探幽作。勅使門(重要文化財)は、慶長年間に建立された御所の陽明門を、寛永17(1640)年に後水尾上皇の命により移築した。
7孤篷庵
京都市北区紫野大徳寺町66
大徳寺の塔頭寺院。龍光院内に小堀遠州が建立した庵を、寛永20(1643)年に現在の場所へと移した。寛政5(1793)年、火災により焼失したが、古図に基づき再建された。茶室・忘筌席や書院・直入軒は重要文化財。
8詩仙堂
京都市左京区一乗寺門口町27
武将で文人の石川丈山が寛永18(1641)年に造営した山荘跡で現在は曹洞宗寺院。詩仙の間には狩野探幽筆の三十六人の詩人の肖像画が掲げられている。石川丈山が三十六歌仙にならい、中国の漢晋唐宋時代の詩人36人を選び、それぞれの肖像画に漢詩を記した。
9鹿苑寺(金閣寺)
京都市北区金閣寺町1
https://www.shokoku-ji.jp/kinkakuji/
住持・鳳林承章は後水尾天皇の文化サロンの中心メンバー。池泉庭の修復などに力を尽くし、後水尾上皇のために敷地内に金森宗和に「夕佳亭」を造らせた。現在の建物は明治時代の再建だが、古の姿をよく映しているとされる。
10賀茂御祖神社(下鴨神社)
京都市左京区下鴨泉川町59
https://www.shimogamo-jinja.or.jp/
寛永5(1628)年、徳川秀忠が楼門、西唐門、大炊殿など、当時火災や戦で荒廃していた境内の多くの社殿を再建した。現存する本殿以外の社殿はこのとき建て替えられたもので、重要文化財に指定されてい
11平野神社
京都市北区平野宮本町1
拝殿は慶安3(1650)年に東福門院が寄進した。釘を使っておらず「接木の拝殿」とも呼ばれる。平成30(2018)年の台風で全ての柱が折れて倒壊したが、令和3(2021)年9月に再建。南門は、慶安4(1651)年に御所の旧門を下賜されたもの。
12宝鏡寺門跡
京都市上京区百々町547
山号を西山といい、臨済宗に属する尼門跡寺院。寛永21(1644)年に、後水尾天皇の皇女・久厳理昌禅尼が入寺した。代々の内親王が入寺すると父である天皇から人形が贈られ、現在は春と秋に人形展、秋には人形供養祭を行うことから「人形寺」とも呼ばれる。
13今日庵
京都市上京区本法寺前町613
千宗旦が正保3(1646)年に建てた茶室。「一畳台目」と呼ばれる極小空間は侘びた構成で知られ、露地には宗旦お手植えとされる「宗旦銀杏」がそびえる。現在の建物は天明の大火後の再建。宗旦は鳳林承章を介して、東福門院と交流があった。
14御靈神社(上御霊神社)
京都市上京区上御霊竪町495
御霊祭の神輿「南之御座」は文禄5(1595)年に後水尾天皇の父・後陽成天皇から、「北之御座」は元和5(1619)年に後水尾天皇から下賜された。その後も、後水尾天皇は指鉾として鯱鉾を、東福門院は葵鉾、菊鉾を寄進している。
15相国寺(後水尾天皇髪歯塚)
京都市上京区相国寺門前町701
後水尾上皇は相国寺の禅僧を導師として出家し、承応2(1653)年に焼失した相国寺の大塔を再建。上層柱心に出家時の髪と歯を納めた。天明8(1788)年の大火で大塔が焼失したため、その跡地に髪歯塚を建てた。
16旧嵯峨御所 大本山大覚寺
京都市右京区嵯峨大沢町4
宸殿(重要文化財)は後水尾天皇から下賜された建物で、東福門院の女御御殿から移築したとされる。安井堂(御霊殿)の中央には後水尾天皇像が祀られている。正寝殿の奥の迎賓室・庭湖館には小堀遠州作と伝わる池泉庭園がある。
17仁和寺
京都市右京区御室大内33
本坊表門(重要文化財)は、慶長度内裏台所門を寛永年間に移築したもの。所蔵する「色絵瓔珞文花生」(重要文化財)は、仁和寺門前に御室窯を開き、京焼を大成した野々村仁清の作品。万治4(1661)年、後水尾法皇が御幸し、桜を観たとの記録がある。
18妙心寺
京都市右京区花園妙心寺町1
寛永4(1627)年の「紫衣事件」では、単伝士印禅師らが幕府に抗議。明暦3(1657)年に建立された法堂(重要文化財)の鏡天井にある「雲龍図」は、狩野探幽が8年かけて描いたとされる。見る場所を変えても龍と眼が合うため、「八方睨みの龍」と呼ばれる。
19京都仙洞御所
京都市上京区京都御苑内
後水尾上皇の御所として建てられた。二条城から行幸御殿などが移築され、寛永7(1630)年に完成。庭園は、小堀遠州が寛永13(1636)に作庭し、その後、寛文4(1664)年に後水尾上皇自身が手を加えたと言われている。
20聖護院門跡
京都市左京区聖護院中町15
https://sankan.kunaicho.go.jp/multilingual/sento/index.html
書院(重要文化財)は、後水尾天皇が側室・櫛笥隆子のために御所に建てた女院御殿を、延宝4(1676)年に聖護院が拝領し、移築したと伝わる。宸殿上段之間には、後水尾天皇の筆による「研覃」の額がある。狩野派絵師による襖や障壁画も多数。
21金戒光明寺
京都市左京区黒谷町121
寛永10(1633)年、徳川秀忠の菩提を弔うため、三重塔が建立された。この三重塔には、運慶作と伝わる文殊菩薩と脇侍の像が納められた(現在は御影堂に安置)。境内には秀忠の正室で、家光と東福門院の母・崇源院の供養塔もある。
22霊鑑寺門跡
京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町12
承応3(1654)年、後水尾天皇の皇女・多利宮を開基とする尼門跡寺院。後水尾天皇が好んだ椿が庭内に100種類以上植えられている。通常非公開だが、椿の開花時期に特別公開される。東福門院の十二単も残されている。
23光雲寺
京都市左京区南禅寺北ノ坊町59
応仁の乱によって荒廃していたが、寛文4(1664)年に東福門院の菩提寺として現在の地に再興された。仏殿には東福門院が奉納した釈迦如来と観音菩薩が安置され、東福門院の第一皇女・明正天皇の寄進による鐘楼も残る。
24二条城
京都市中京区二条城町541
https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/
寛永3(1626)年9月、後水尾天皇が徳川秀忠と家光の招きに応じて二条城に行幸し、5日間滞在した。この行幸のため、城域の拡張、天守や行幸御殿の造営などが行われ、二の丸御殿(国宝)には狩野派によって障壁画が描かれた。
25南禅寺
京都市左京区南禅寺福地町86
三門(重要文化財)は、寛永5(1628)年、藤堂高虎が大坂夏の陣の戦没者の菩提を弔うために建立。日本三大門の一つに数えられる。小堀遠州作と伝わる方丈庭園は、江戸時代初期を代表する枯山水庭園(特別名勝)。
26金地院
京都市左京区南禅寺福地町86-12
南禅寺の塔頭。徳川家康に仕え「黒衣の宰相」とも呼ばれた以心崇伝(本光国師)が、慶長10(1605)年に復興。崇伝は後水尾天皇から師号を賜り、崇伝の塔所には後水尾天皇の勅額がある。茶室「八窓席」(重要文化財)や庭園(特別名勝)は、小堀遠州が手掛けた。
27頂法寺(六角堂)
京都市中京区堂之前町248
https://www.ikenobo.jp/rokkakudo/
本堂の形から「六角堂」の通称で親しまれる寺院。住職を代々、華道家元池坊が務め、いけばな発祥の地としても知られる。後水尾天皇は、立花を大成した三十二世池坊専好を重用し、寛永6(1629)年には内裏の紫宸殿で立花会を催した記録が残る。
28誓願寺
京都市中京区桜之町453
五十五世法主である安楽庵策伝は、小堀遠州や松花堂昭乗、松永貞徳らと親交がある茶人・文化人であった。京都所司代板倉重宗の依頼で落語の原型となる滑稽話を集めた「醒睡笑」を著したことから、「落語の祖」とも言われる。
29知恩院
京都市東山区林下町400
入母屋造本瓦葺の三門(国宝)は元和7(1621)年、徳川秀忠の命により建立された。重要文化財の大方丈と小方丈は、寛永18(1641)年の建築で、いずれも狩野派絵師の襖絵で飾られている。
30建仁寺
京都市東山区小松町584
方丈(重要文化財)は、慶長4(1599)年に安国寺から移建され、東福門院が寄進した十一面観音菩薩坐像が安置されている。建仁寺が所蔵する俵屋宗達の「風神雷神図屏風」(国宝)は、現在は京都国立博物館に寄託。建仁寺では高精細複製作品を展示している。
31高台寺
京都市東山区高台寺下河原町526
境内の中央には、小堀遠州作と伝わる池泉回遊式庭園(国指定名勝)がある。中心にたつ開山堂(重要文化財)、そして東山を借景とした偃月池、臥龍池の2つの池からなる。偃月池に架かる楼船廊の中央には観月台があり、重要文化財。
32清水寺
京都市東山区清水1丁目294
https://www.kiyomizudera.or.jp/
寛永6(1629)年、仁王門、春日社、子安塔を除いた諸堂が火災で焼失。寛永8(1631)年から寛永10(1633)年にかけて、西門、釈迦堂、三重塔、本堂、奥の院などを徳川家光が再興した。
33豊国神社
京都市東山区茶屋町530
伏見城の遺構とされる国宝の唐門は、寛永行幸時には二条城行幸御殿前にあり、行幸翌年の寛永4(1627)年8 月に南禅寺の塔頭・金地院に移されたと伝わる。その後、豊国神社再興の際、明治時代初期に現在地に再建された。
34妙法院門跡
京都市東山区妙法院前側町447
大玄関と大書院(ともに重要文化財)は、元和6(1620)年に東福門院御所の殿舎の一部を移築したものといわれる。襖絵はそれぞれ狩野派による「松之図」や「四季花鳥図」等が当時のまま残り、全て重要文化財。
35養源院
京都市東山区三十三間堂廻り町656
https://yougenin.jp/index.html
元和7(1621)年、東福門院の母・崇源院の尽力で再建されたが、崇源院は寛永3(1626)年に逝去。崇源院七回忌の年に父・秀忠が亡くなり、東福門院は両親の大きな位牌を作らせた。さらに兄・家光が亡くなったときも位牌を祀り、以降徳川将軍の位牌所となった。
36智積院
京都市東山区東瓦町964
天和2(1682)年に焼失した客殿再建のため、東福門院の旧殿などが資材として使われた。現在、名勝庭園に面している大書院が東福門院より移築されたもの。桃山時代に活躍した絵師・長谷川等伯一門の「桜図」「楓図」といった国宝障壁画を所蔵することでも知られる。
37桂離宮
京都市西京区桂御園
https://kyoto-gosho.kunaicho.go.jp/katsura-rikyu
八条宮智仁親王とその息子・智忠親王によって造営。明暦4(1658)年、寛文3(1663)年の後水尾上皇の御幸に備え、智忠親王が第三次造営を実施。新御殿と楽器の間の建設や、庭園の大幅な整備が行われ、現在の桂離宮の姿が完成した。
38東寺
京都市南区九条町1
国宝の五重塔は、高さ55mで日本一の高さを誇る木造の塔。創建以来、4度焼失したが、寛永21(1644)年に徳川家光が古製に則り再建した。観智院の茶室・楓泉観には、狩野氏信筆の「楼閣山水図」がある。
39伏見稲荷大社
京都市伏見区深草薮之内町68
境内には、後水尾上皇から下賜されたと伝わるお茶屋(重要文化財)がある。上皇に非蔵人として仕えていた稲荷社目代の羽倉延次が寛永18(1641)年に拝領し、昭和2(1927)年に特別保護建造物に指定された。書院造が数寄屋造となっていく過程を示す建造物として貴重である。
40醍醐寺
京都市伏見区醍醐東大路町22
俵屋宗達とのゆかりが深く、宗達作の「舞楽図屏風」「扇面散図屏風」「芦鴨図衝立」(いずれも重要文化財)が現在も伝わる。寛永8(1631)年に醍醐寺三宝院の注文で制作された「源氏物語関屋及澪標図屏風」(静嘉堂文庫美術館蔵)は、国宝に指定されている。
41石清水八幡宮
八幡市八幡高坊30
石清水八幡宮滝本坊の住職となった松花堂昭乗は「寛永の三筆」の一人。表参道入口にたつ一ノ鳥居の額は昭乗が書写したもの。昭乗が営んだ草庵「松花堂」がたっていた場所に石碑が残っている。本社10棟は、徳川家光の命で寛永11(1634)年に修造。
42松花堂庭園・松花堂美術館
八幡市八幡女郎花43-1
https://shokado-garden-art-museum.jp/
広大な庭園には、松花堂昭乗が石清水八幡宮住職を引退した後に建てた、広さ二畳の草庵「松花堂」(京都府指定文化財)が、明治時代に移築されている。昭乗ゆかりの作品を展示する松花堂美術館も。(草庵「松花堂」を含む内園は、現在特別公開日のみの公開)
43萬福寺
宇治市五ケ庄三番割34
龍渓禅師や後水尾法皇の尊敬を集め、明から来日した隠元隆琦禅師が創建した禅寺。広大な境内や伽藍は徳川幕府の働きかけにより寄進された。舎利殿には現在も法皇の御位牌が安置され、毎年9月18日~19日には「法皇忌」が行われる。
44興聖寺
宇治市宇治山田27-1
「秀忠近侍の三臣」の一人・永井尚政が淀城主として再興に尽力。東福門院が寄せた「興聖寺中興縁起」一巻や天竺殿の聖観音像など、後水尾天皇・東福門院のゆかりの寺宝が残る。開山堂前の金明竹は、明正天皇より永井尚政を通じて植えられたと伝わる。